論座に「あいまいな日本の私」を寄稿しました。
蟻の一穴を狙ってコロナ違憲訴訟で闘うのは「2021年、あいまいな日本の私」。
“あの”文豪4人にナビゲーターになってもらいました。漱石、川端、三島、大江です。
「あいまい」で「上滑りを滑っていくしかない」日本人は、100年以上変わっていないんじゃないか?それと闘ってきた先人の言葉が胸にしみるのです。
「あいまいな日本」の「あいまいな憲法」が機能するのかも問う訴訟だということも裏テーマです。
でもね、忘れてはいけないのは、日本には”善き”あいまいさと、”悪しき”あいまいさがあるということです。善きあいまいさがなんなのかを模索しながら、悪しき曖昧さを皆で消化/昇華していきたいのです。
この国にしかない善きあいまいさまで駆逐したら、いよいよおしまいですね。
外国人特派員協会でのコロナ特措法違憲訴訟の記者会館でしたスピーチの完全版です、初めて「ですます」の敬体で書いてみました。論座に改めて掲載いただきました。
是非ご一読いただけると嬉しいです。